昭和50年09月04日 朝の御理解
御理解 第96節
「世の人があれこれと神の事を口端に掛けるのも、神の比礼じゃ。人の口には戸が閉てられぬ。先を知ってはおらぬぞ。如何に世の人が顔にかかるようなことを言うても、腹を立てな。神が顔を洗うてやる。」
御比礼ということ。これはお道の信心の独特の言葉だと思うのですけど、昨日もこの比礼ということに就いて頂きましたですね。氏子が真から用へるのは神も比礼じゃがという、あそこのところを頂きました。まあ本当に教会の比礼になる様な、真から用いる氏子にお取り立て頂きたいというのが昨日の御理解の芯でしたね。今日は例えば、神の事を口端にかけるのも、神の比礼じゃが、その中には様々な事がございます。
良いこともあれば、悪いこともある。それこそ金光様は狐じゃろうか、狸じゃろうかと言う様な悪口聞くこともある。金光様の信心をしよるけれどもというて、悪口をいわれる事もある。何が一番腹が立つというても、或方が熱心にお母様が信心をされる。息子が信心がありませんから、親子喧嘩をする時に母の一番痛いところは何処かというと金光様の悪口なんです。だから、おばあさんが息子にいうておられる。お前はあたいが一番好かんことはいうばいないと。(笑い声)
喧嘩ですからね、やっぱり一番痛いとこ突かにゃならんもんですから、息子はその神様の悪口は言う訳です。お前はあたいの一番好かんことを言うばいない。そげんして私をこなすかと言う訳です。言う様に確かに金光様の御信心を頂いておって、金光様の信者を褒められたり、金光様の信心の素晴らしい事を褒められとるのは、それこそ自分のことを褒められている様に嬉しいもんだと。
いうて反対のことであると、それこそ自分のことを言われる分はよいけれども、神様の事をいわれるとそれこそ、身を切られる様に辛い思いをするもんです。分からんながら、矢張り腹が立つ訳ですね。けれども教祖様は、それも神の比礼じゃと仰るのですね。だから、腹を立てちゃならん。それこそ神が顔を洗うてやると仰るのです。私は昨日、私の新聞配達の時代の事を聞いて貰った。
七年間のお店勤め、そしてようやくこれから小さい店でも持たれるかと言う様な、それこそ希望に燃えて帰ってきて、それは以前の借金払いに払うたら、後は現金でなからにゃ払わんと言う事になって出来なくなった。もうそれこそ、寝込む様に、血の涙が流れる思いがした。教会の親先生の話で近所の久保山という酒屋に、また渡りをつけて頂いた。そしてこれで出来たかの様に思うた。
ところが、実際酒屋の方へ行くと、大坪さん、あんなに言いよったけれども、やっぱり現金とまでは言わんから、もう一丁ごし、四斗樽を一つ貸しますから一遍ごしにして呉れとこう言う。そこで又愕然とする様な事であったけれども、そこで決心がついたのは、そんなら現金で仕入れるならば、現金で賣るところを探そうというので、私は久留米の方へ販路を求めて、まあ細々ながら商売を始めた。
そういう時に丁度弟が小学校を卒業して上の学校へ行くというけれども、やれる事じゃないから当時の何とか簿記学校にやることにした。自分も行きたいという。それでそれだけの云うなら、学費というのが捻出されなければいかんので、新聞配りを始めたという話を聞いて頂いたですね。昨日、私はその事をしきりと前の晩から思うとった事を話とったことが、えらい反響がありましたですね。
昨日は梅の実会でした。若い嫁さんばっかりの集まりです。それにその話を致しましたら、非常に皆が、それが今私達が頂いている苦労などというものは、もう問題の端じゃないと言った様なものがこちらに響き返って來るのです。本当に修行の話というものは素晴らしいと思いましたよ。それから又いろいろと考えさせて頂きました事でしたけれども、考えて見ますと私が兵隊検査を終って不合格でした。丙種合格でしたから。
ですからもうすぐ店を始めるというのですけれども、二十一というと丁度私の方の幹三郎の年なんです。そしてから又改めて昨日から分からせて頂いた事はね、今田主丸の方へ行っとられます、発心山の鹿毛八次さんという御主人さんでしたが、これは本当に、例えば幹三郎、あの位の年輩がです、これから半年間どんどん賣らせて貰うから、そりゃ自分は一人前の商売人になったつもりですから、番頭さんとしては素晴らしかったかも知れんけれども、店の主人としては成程、心許なかったろうと思いますね。
まあだ二十一位な、例えば、幹三郎位なつがですよ、酒屋に交渉に行って、ね、例えば、一丁二十八円位の酒ではありますけれども、一丁宛賣ったところで十日には二百八十円ですから、そりゃ半年というならもう莫大な金になるのです。当時、それをさぁならどんどん賣って下さいといわれなかった筈だということをね、その後の話の事で考えさせて貰ったんです。
そして、ならいよいよ次の、なら善導寺の親先生の話もあり、その総代さんの岸さんところのおばあちゃんと心易いところもあり、そして渡りをつけて貰って、久保山、朝凪酒造にそのことを交渉して貰って、そんなら貸して上げましょうというたもんのです、ようと考えたら、まだ兵隊検査を済ませさっしゃったばかりの人げなが、それこそ顔見られた途端にです、やっぱり断わられた筈だと思います。
大坪さんあげん言いよったばってん、とにかく一丁ごしにして下さいといわっしゃった。もうそれこそ崖から突き落とされた様な気持ちが致しましたけれども、さあ何十年後今日になって分からせて頂く事は、例えば私が酒屋で二十一の人が借りに来たなら、私でも恐らく貸しはきらなかっただろうと思うですね。そこでです私は世間の人が、例へ人が顔にかかわる様な事をいうてもという時にはです、それも神の比礼です。と同時にです、あぁ自分自身がまぁだ二十一の若輩だということを知らなければいけません。
成程信用される筈がないという自分を知らなければいけません。 自分はもうひとかどの大人になったつもりでおるけれども、年を取った巧者な方達が見たら、とてもとても危なっかしくって、とても半年も敷いて酒をどんどん賣って呉れといわれる筈がないと思いました。けれども、それが神の比礼であったということは、その後において段々分かって來るのです。そこでなら私が奮発して朝の十時頃まで四時から掛かって新聞配達を終って、昼頃から久留米へ酒を積んで商いに行くんです。
そして現金賣りをして、毎日毎日それが繰り返された。二年間おかげで弟も卒業することが出来て、田川郡の古城炭坑の販売部に就職のおかげを頂いた。丁度その頃です、改めて私はおかげと思うた。 その頃はおかげと思うとらんです。丁度そういう事が何も彼も終って、だが、新聞配りももう止めなければ商売に打ち込めないという気持ちもありましたし、弟も卒業したし、これからはという時に、本当に忘れもしません。田主丸の今村酒造という福梅という酒屋さんがあります。今でもあるでしょう。
やっぱり、今村さんあちらの大将がバスで椛目の前を通っておられた。ところが前にビールの空き瓶とか焼酎の瓶とか、空き樽とかを積み上げとりますからね昼は。ですから椛目には酒屋さんが出来とるごたるから、というて名前も私と同じ大坪という人でした。大体土居の方だったらしいですね。その人のそれは気の利いた番頭さんでした。がその私の方に酒を売り込みに来ました。けど私の方は久保山から半年半年で取りよるから、まあ実際はそうじゃない掛け引きですけど、そうじゃないけど掛け引きですよね。
それで替える訳にはいけん。なら私の方もひとつそれで良いから買って呉れんか。酒を飲んだら酒もなかなか実濃うて良い酒なんです。今合楽でにごり酒入れ、甘酒つくる時におばあちゃんが樽を出しよりましたでしょう。あれです。あの福梅という、あの時の名残です。あの時の酒です。それから福梅さんが腰を抱いて下さることになり、半年敷きで出して下さることになったのです。それからというものは商いの腕に自身があるですから、殆ど小売であったのを卸にする。
そしてビール、焼酎というものをオート三輪車で出すくらいにおかげを頂いたのです 。そこでですね、それをああ素晴らしいおかげというけれども、そういうおかげがもし続いておったら、今日の合楽は生まれておらんです。それから二年余り、もう本当にたまがる様におかげを頂きました。そりゃもう発心山がまだこちらにありましたから、その隣にまで私が店が出よりましたから、料理屋さんが出張して出しよりましたから、もう発心山、もう一升賣りでしたからね。
もうあそこ二年間というものはね、福梅一色になる位でした。もうそれこそ、安うして賣るもんじゃから良い酒を、太刀打ち出来ません。そういうその腹があるからですね、今頃から考えて見るとほんに脇の下から汗の出る様な商売でしたけれど、その二年間というものはもう、その時分に随分めぐりを作った様です。三味線を覚えたり、踊りを踊ったというのも其時でした。そりゃ相手が料亭とか割烹やら、待合でしたから。ですから、自ずとそういう事になって來るのです。
昨日と今日は天地がひっくり返る程の話ですけれどもね。そういう時代もあったのです。そして今、妹の婿が朝鮮から帰って来ましたから、それから私の片腕になって働いてくれましたし、もう本当に酒屋という商売は派手な商売だなぁという位に本当におかげ頂きましたが、今村さんが私の所に全然知らんのに売り込みに来てから、半年敷で良いというてどんどん出して下さったということは、まあ本当に大変なおかげであったとも思うけれどもです。
決してそれがおかげでは、いわばおかげではあるけれども、本当のおかげではなかったということです。いうなら、それ以前の二年間というものは、これこそ難儀困迫の時代ではあったけれども、今から考えて見ると、あの時がおかげである事が分かるでしょう。だからね、おかげをおかげと知らずとはそういう事ではなかったでしょうかね。又おかげでない事をです、とんとん拍子に行っておる事をです、おかげと思うたり、有頂天のなっておることになってもならないのです。
むしろどちらかというとです、昨日聞いて頂いた、それこそ難儀困迫の時代こそが、神様の比礼というならば、神の、今日の御理解ですね。とやこうと神のことを口端に掛けるのも神の比礼じゃと。叩かれて賢うなれ、笑われて賢うなれ。叩かれて強くうなれという時代だった訳です。その時に本当の意味に於いての自分というものを見極める時代だったんです。して見ると、其時代の方がおかげだということが分かるでしょうが。
私がいうならば後の二年間というのが、あれがもし続いておったら私は或る意味で大きな、日田の丸亀さんの様な大きな卸問屋になっとったかも知れません。ところが時代がいよいよ変わってきた訳です。日支事変が始まって来た。酒は配給ということになって来た。もうそりゃどうにも出来ない。時代の波ですから仕方がないでしょう。それこそあの時分に、鹿毛八次さんと発心山の大将は言いよりましたけどです、本当に血も涙もない様な人だと思うて、それに反発までして。
した事を今から思うと脇の下から汗の出るごたる。鹿毛八次さんこそ本当に神様じゃった。久保山の奥さんこそ本当に神様じゃった。そして私にいよいよ力をつけて下さる働きであったということが、何十年後に分からせて貰うた。そしてそれが、神の比礼であったと気付かせて貰うた。必ずしも人間、調子の良い時がおかげでない。またそこんところを、いわば踏んまえての信心。先日或人が頂いた御理解に「時化あとの萩あらたなる 花の色」ということを頂きました。
時化ね、雨風の時化です。時化のあと、萩あらたなる、花のいろ、雨があり嵐があり、その後にです、いわゆる斬新なというか、いわゆる色鮮やかな花の色の情景であります。私共は何時もですね、こういう日に日に新とか、日に日に生き生きとした信心と申しますけれども、むしろ人に悪口を言われる様な時、それを神の比礼として受けると同時にです、いよいよ自分が深く反省をさして貰わなければならない。成程悪くいわれる筈だとか、私が今日の御理解からいうとです。
成程考えてみてです、断わられた筈だと、まあだ二十一の若輩だもの、自分は大人になった様な気持でおるけれども、それを貸す方の側から見たら、とてもとても危なっかしゅうして貸せなかったのが本当だと、そのことが自分で気が付かなかったから腹が立った、血の涙が流れる様に情けなかった。いうなら、これ程信心するのにといいう思いも当時したことだと思うです。それこそ神も仏もないものかという。そういう時程、いうなら神様の神愛というか、神の本当の働き笑われて賢うしてやろう。
叩いて強うならせてやろうという、神愛であったことが分からせて頂いて、初めて私は神の比礼ということが言えると思えるですね。どうぞ難儀、神の事を口端に掛けるのも、どういう悪口の言われる時あにもです、それが神の比礼じゃと言うことはです、自分というものがギリギリ見極められる、成程二十一の若輩の私に貸して呉れる人がなかった筈ということが分かるということなんです。その時に初めて神の比礼じゃということが分かる訳ですね。
どうぞ。